2018年2月9日金曜日

180209

今朝、夢を見た。解散したバンドのメンバーで演奏をしている夢だった。

竹川に、3年ぶりくらいのメールを入れ、久しぶりに会う事にした。場所は、3年前に、もうバンドをやりたくないという話しをメンバーにした吉祥寺の居酒屋で。彼と会話したのはその日が最後だった。

結果から言うと、吉祥寺の道端の排水溝に2度エーテル。電車に乗ったものの、たまらず途中で下車。トイレに急ぐものの、我慢出来ずに目前でエーテル(本当にごめんなさい...)、その後30分トイレに篭城する羽目になる。ほんの数杯のアルコールを呑んだだけで、ここまで悪酔いするのはいつぶりか。たかが、学生時代のほんの2、3年の間にやっていた小さなバンドだったが、今でも重くのしかかっていたのだと思う。とても重たかった。

久しぶりに呼びつけたは良いものの、どんなツラを下げて会えば良いものかと悩み、待ち合わせをわざと遅刻して入店。相変わらずあっけらかんとしたやつなので、入ってしまえばその後は、自然に話せた。

月額ストリーミングも未だに使わず、好きな音源はCDやLPで買う。メディア類は全くチェックしてないから、このしばらく会わなかった期間にFrank OceanもBon Iverも全くチェックしていなかったそう。これは一切の皮肉なしで言うが、この数年に、Frank OceanもBon Iverも知らずに済んだなんて、なんて羨ましいことか!Frank Oceanは、君の好きなBurt Bacharachのカヴァーもやっているよ。と、伝えた。いや、ここまで来たら、聴かないでくれとも。

初めて会った時は、アシッド・ジャズも下火になった頃だったけれど、JamiroquaiとIncognitoがお互い好きで意気投合してバンドを始めて、はっぴいえんどとか言わずにあのままやっておけば売れたかもね。

彼からは、最近、来日したSean O'Haganを観に行って、またHigh Llamasがお気に入りという話しをしていた。それに、ブラジルのコード感の話しだったり。
そういった話しに"なんで?なんで?"と、都度都度、突っ込みを入れるが、相変わらず口ごもる。"ブラジルのコード感は曲線的なメロディを描きやすくて、日本語の点っぽさを解消出来るのは確かだよね"とフォローすると、心のそこから"確かに!そうだね"と子供のように返事を返してくれる。

彼のような人種は、周りに他にいない。自分で選んだ音楽を聴くという極めてシンプルで、ピュアな音楽の接し方をしている。見た目はオッサンだが、なんと表現すればいいのか、、そう何にも染まっていない。無染。ここ数年の音楽の波、いや世の中の流れに呑まれて、なんだか嫌気がさしていた自分は、とても羨ましく思え、それはバンドを一緒にやっていた頃から、何一つ変わっていない事のように思えた。

近くに、こんなにも狂ったように音楽が好きなやつがいたから、解散した後に、果たして自分が音楽が本当に好きなのかどうか、悩んだ時期もあったという話しも初めて聞いた。逆に僕は彼のソングライティング・センスにとても嫉妬していた。少しでも良い曲を書けるよう、自分が出来る事は、誰よりも音楽を聴く事しか出来なかっただけだ。初めて増村のペンが自動筆記のように走ったのは、僕の曲ではなく、竹川の曲だった。桑田圭祐のラジオで掛かったのも僕の曲ではなくて、竹川の曲だった。ふと思い出して、そんな話しをすると、ラジオでは、おれの曲なのに、"このリーダーの子はバンジョーにペダルスティールも弾くのか。Brian Wilsonみたいなやつだな"とだけ言っていたのを今でもはっきりと覚えているという。

こうやって、まともに会話するのも、バンドの終盤1年はほとんどろくに会話もしなかったから、本当に久しぶりだった。

2枚目以降、ぜんぜん付いていけなくなった、という話しをしていた。そりゃそうだよね。僕も、なにに取り憑かれていたのかよく分からない。とにかく見えないもの、言葉に出来ない事を音楽にしたかった。大した理由なんて無かっただろうけど、はじめて世の中に自分の音楽が出た時に、いとも簡単に決まりきった仕事をかた付けるように、自分の音楽が語られていく事が初めての体験で、それがどうしても我慢ならなかったのだと思う。あの頃は、若かったし、手当たり次第、全てのものに腹を立てていた。なんて振り返るような歳に今はなってしまったのか。

自分にとって音楽を作る事は、スタンスは変わった部分もあるけれど、基本的に変わらないのは誰かのためでは無いし、自分のためでもない。かっこよく上辺の言葉を使うと、音楽のために音楽を作りたい。本当にそうなのかはよく分からない。

時々、音楽が好き過ぎて、音楽を知らなければ良かったと思う事がある。そうすれば今頃、子供を連れてジャスコに行くような生活が出来たのではと。20代の前半は、本当に音楽によっていろんな物事をトチ狂わせた。きっと音楽に救われるような人は、程々の距離で音楽に接する事が出来るのだろう。ただどうしても、僕にはそれが出来なかった。深みにハマればハマる程、いろんな事が上手く出来なくなってしまった。そして、バンドもうまく回す事が出来なくなって放り投げてしまった。

こんなやりとりもした。どういう事を考えているのか知りたい一心で、子供のようにとにかく質問を浴びせた。

「きっと自分は実験的なものよりポップスが好きなんだ。」

「じゃあペットサウンズは?」

「ポップス」

「きみがよく着てたTシャツの狂気は?」

「ポップスじゃない」

「じゃあ自分の思うポップスの定義は?」

「うーん、、口ずさめるような良いメロディの音楽かなあ」

「じゃあ狂気の1曲目すごい良いメロディじゃない?」

「そういわれるとポップスだね」

「ソフトマシーン」

「ポップスじゃない」

「初期のソフトマシーン、いやロバートワイアットは?」

「ポップス」

「ジャコがいた頃のウェザーリポートは?」

「ポップス」

「ドナリー」

「ポップス」

「ソーファット」

「ポップスじゃない。でもあのベースリフ、、ポップスだね」

「オーネット」

「ポップスじゃない」

「ドンチェリー」

「ポップス」

「そうだよね。じゃあ君の好きなミュージックフォーエアポーツ」

「そう言われるとメロディ無いけどポップス」


あの頃、もっといろんな話しをするべきだったのだろうか。というと、なんだか昔の恋人に当てた手紙のようだ。それは、永遠に元の通りには戻らない。

はじめはいろんな偶然が、ピースをはめるように、連鎖しておもしろいようにうまく収まった。それは、ほとんどミラクルの連続で。
しかし、ある時、手にしていたピースは、然るべきものではなかった。すぐに次のピースを試すなりカチリとはまるもの探すべきだったのかもしれないが、執拗に回転させたり、裏返してみたり、どうしてもその1つのピースを手から離す事が出来なくなってしまっていた。今思い返してみてもそれは間違いだったとは思っていない。ただ、そうしているうちに時間が切れてしまっただけのことだ。


ほんの小さなインディーのバンドなのに、なんだかたいそうな物言いをしてしまったけれど、とても大事な時間を過ごせた事に感謝したい。


帰り際に"また会えるとは思っていなかったよ"と言われ、知らずに背負っていたものがほどけて、道端の排水溝に吸い込まれていった。

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